2020年04月21日

4/21放送 西和佐地区・人権委員会のとりくみ

今日の放送はこちらからお聴きいただけます。

まちかど通信、今週は西和佐地区をご紹介!
西和佐地区人権委員会 委員長の
金谷善進さんにお話を伺います。
IMG_7575.jpg

「人権」とは

人と人が地域で生きていく時、お互いを大事にし、他人のことを理解すること。気持ちよくお付き合いし価値を認め合える地域づくりをするベースになるのが「人権」です。


「人権感覚は磨いていくもの」

「学べばそれでいいものではありません」と金谷さんは話します。人と接するときに「人権の感覚」を磨いていくことが「人権教育」をしていく上で大切。


「ちょっとしたことで人を傷つけ、
  ちょっとしたことが人を生かしていきます」



西和佐地区での人権の取り組み

年1回地区で、同じく年1回ブロックで「人権講演会」を開いています。今の時代ならではの「情報サイト」の問題などテーマを決めて開催しています。地域の行事で「啓発活動」を実施。各種団体と連携して、人権感覚を磨いていただくため行事を企画したり、12月には「子ども会」が開催する「平和と人権の集い」に参加したりしています。

IMG_7570.jpg

委員長を務めて7年の金谷さんは、「常に地域の人たちに人権感覚を磨いていただくことを思いながら委員長職を頑張らせていただいています」とした上で、「子どもたちが学校の学習を通して人権感覚を磨き、社会に出てからも、そういった活動をしていただけることが良い社会を創っていくベースになるのでは」と話します。


ところで西和佐地区で生まれ育った金谷さんは、
 元中学校の先生!この地区の「いいところ」は…?


「昔は農村地域でしたが、今は多くの人が住まわれています。本当にのどかな、人を大事にする土地柄です。私自身のことで言うと、昭和50年に地域の中学校に赴任してから沢山の教え子がこの地域で活躍しています。そういう意味では、誇りにしている西和佐地区です」と誇らしげに話してくださいました。

IMG_7593.JPG
posted by 和歌山 at 08:00| 和歌山 ☀| まちかど通信(2020) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月16日

4/16放送 加太地区「加太の要塞」

今日の放送はこちらからお聴きいただけます。

「まちかど通信」
今週は加太地区をご紹介しています。
加太地区連合自治会 副会長で、
日本考古学協会 会員の藤井保夫さん
「加太の要塞」についてお聞きします。

IMG_7554.jpg

「要塞」とは。

江戸時代、日本は「鎖国」をしていました。
幕末になると、西洋諸国が「開国」を求めるようになり、ペリーが浦賀にやってきます。同時に、ロシア船が大阪港の開港を求めてやってきました。その際、外国船からの危害を防ごうと、特に大阪湾を守ろうと大砲を備えた「砲台」を造っていきました。

明治時代になると、更に立派なレンガ造りで、六文、八文といった大砲の砲台を備えた大規模な要塞が加太、友ヶ島、淡路島に造られました。こうして紀淡海峡をまもる砲台が整備されました。


加太・友ヶ島の砲台跡は保存状態が良い

淡路島の由良にある砲台跡は大きく損なわれていますが、加太と友ヶ島の砲台跡は、壊されずに往時をしのぶことが出来ます。精巧な造りの上、永い間そのままの状態で放置されたため保存状態がよくタイムスリップしたように感じられます。

ただレンガ造りの砲台は壊れず残っていますが、砲台に付属する兵舎や弾薬庫、砲台と砲台をつなぐ「軍の道=軍道(ぐんどう)」は傷んできているのが現状です。

ですから、砲台の付属施設や軍の道などを含めた「友ヶ島」全体をひとつの「要塞」ととらえて、「保存・活用・観光」を図っていく必要があります。


「若者に人気」のスポット。

最近では、「ラピュタの城を体感できるスポット」として若い方がコスプレをして島を訪れ、撮影をするなど友ヶ島が人気です。

IMG_7526.JPG


今後の加太地区の在り方とは?

加太では、「加太活性化協議会」が発足し地域の活性化に努めています。「加太浦八景」「友ヶ島八景」という加太・友ヶ島の観光本も発行しています。「こういったものを片手に、町や島を巡っていただき、加太はいいところだなぁ、と感じていただくとともに、住む人も増え、かつての活気ある賑やかな町に戻ってほしい」と藤井さんは期待を込め話してくださいました。
posted by 和歌山 at 08:00| 和歌山 | まちかど通信(2020) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月14日

4/14放送 加太地区「行場・葛城二十八宿」

今日の放送はこちらからお聴きいただけます。


「まちかど通信」今回は加太地区をご紹介。
加太地区連合自治会 副会長で
日本考古学協会 会員の藤井保夫さんにおききします。

IMG_7555.jpg


加太地区にある「行場」とは。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、役小角(えんのおづぬ)「役行者(えんのぎょうじゃ)ともいわれる」が開いた行場は、「葛城二十八宿」といわれ、加太から、大阪堺、奈良まで28か所にお経を埋めて、行場としたのが始まりとされています。


その1番目の行場が「加太」。

「葛城二十八宿」の行場は平安時代の終わりごろから開かれていますが、
加太の沖にある友ヶ島は、もっと後に行場となったと言われています。


現在も、修験者たちが行に訪れる。

毎年4月には、京都の聖護寺や那智の青岸渡寺から、
山伏の装束を身に付けた多くの修験者が訪れています。

しかし今年は、新型コロナウイルス感染症拡大予防のため、
代表者10人ほどが行に訪れたのみとなりました。

IMG_5980 (2).jpeg
(4月3日、加太海水浴場で行われた護摩祈祷)

加太海水浴場で、護摩祈祷をした際、地元の人たちも
この場を訪れ、コロナウイルスの終息を祈りました。

IMG_5979 (1).jpeg


友ヶ島の行は「命がけ」。

特に友ヶ島での行は、海を渡ること自体が「命がけ」。
だったそうです。


島内「5つの行場」

どこも観光地化されておらず、普段は誰も寄り付かないと言われています。そのうちのひとつ、虎島(とらじま)にある観念窟(かんねんくつ)はとても厳しい行場です。ここから石の滑り台のような急傾斜の岩場を、命綱ひとつで登っていくのだそうです。「これはまさに命がけ」と藤井さんはおっしゃいます。


行をする人との交流

このような山岳修業は、「心を鍛え厳しい自然の中で生き抜く力を身に付けるために行うもの」。藤井さんたちは「加太浦大護摩供」という会を立ち上げ、このような行者さんたちをおもてなししています。

また地域の子どもたちには、日本の伝統・精神文化として知ってもらう機会を設けています。大護摩祈祷の際には、いつも多くの子どもたちも訪れています。

IMG_7528.JPG


「日本考古学協会」会員としての活動。

このほか藤井さんは、
小中学生の前でお話をされることもありますが、
「目を光らせて(一生懸命)聞いてくれる時が嬉しい」と
仰っています。


「日本遺産」への夢

今回ご案内いただいた「葛城二十八宿」の行場を、「日本遺産」として登録したいと、和歌山県を通じて申請中。「修験の行場がたくさんある貴重な場所。その辺りも含め日本遺産になってほしい」と期待を込めていらっしゃいます。
posted by 和歌山 at 08:00| 和歌山 ☁| まちかど通信(2020) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする