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「まちかど通信」
今週は加太地区をご紹介しています。
加太地区連合自治会 副会長で、
日本考古学協会 会員の藤井保夫さんに
「加太の要塞」についてお聞きします。

◆「要塞」とは。
江戸時代、日本は「鎖国」をしていました。
幕末になると、西洋諸国が「開国」を求めるようになり、ペリーが浦賀にやってきます。同時に、ロシア船が大阪港の開港を求めてやってきました。その際、外国船からの危害を防ごうと、特に大阪湾を守ろうと大砲を備えた「砲台」を造っていきました。
明治時代になると、更に立派なレンガ造りで、六文、八文といった大砲の砲台を備えた大規模な要塞が加太、友ヶ島、淡路島に造られました。こうして紀淡海峡をまもる砲台が整備されました。
◆加太・友ヶ島の砲台跡は保存状態が良い
淡路島の由良にある砲台跡は大きく損なわれていますが、加太と友ヶ島の砲台跡は、壊されずに往時をしのぶことが出来ます。精巧な造りの上、永い間そのままの状態で放置されたため保存状態がよくタイムスリップしたように感じられます。
ただレンガ造りの砲台は壊れず残っていますが、砲台に付属する兵舎や弾薬庫、砲台と砲台をつなぐ「軍の道=軍道(ぐんどう)」は傷んできているのが現状です。
ですから、砲台の付属施設や軍の道などを含めた「友ヶ島」全体をひとつの「要塞」ととらえて、「保存・活用・観光」を図っていく必要があります。
◆「若者に人気」のスポット。
最近では、「ラピュタの城を体感できるスポット」として若い方がコスプレをして島を訪れ、撮影をするなど友ヶ島が人気です。
◆今後の加太地区の在り方とは?
加太では、「加太活性化協議会」が発足し地域の活性化に努めています。「加太浦八景」「友ヶ島八景」という加太・友ヶ島の観光本も発行しています。「こういったものを片手に、町や島を巡っていただき、加太はいいところだなぁ、と感じていただくとともに、住む人も増え、かつての活気ある賑やかな町に戻ってほしい」と藤井さんは期待を込め話してくださいました。