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「まちかど通信」今回は加太地区をご紹介。
加太地区連合自治会 副会長で
日本考古学協会 会員の藤井保夫さんにおききします。

◆加太地区にある「行場」とは。
飛鳥時代から奈良時代にかけて、役小角(えんのおづぬ)「役行者(えんのぎょうじゃ)ともいわれる」が開いた行場は、「葛城二十八宿」といわれ、加太から、大阪堺、奈良まで28か所にお経を埋めて、行場としたのが始まりとされています。
◆その1番目の行場が「加太」。
「葛城二十八宿」の行場は平安時代の終わりごろから開かれていますが、
加太の沖にある友ヶ島は、もっと後に行場となったと言われています。
◆現在も、修験者たちが行に訪れる。
毎年4月には、京都の聖護寺や那智の青岸渡寺から、
山伏の装束を身に付けた多くの修験者が訪れています。
しかし今年は、新型コロナウイルス感染症拡大予防のため、
代表者10人ほどが行に訪れたのみとなりました。

(4月3日、加太海水浴場で行われた護摩祈祷)
加太海水浴場で、護摩祈祷をした際、地元の人たちも
この場を訪れ、コロナウイルスの終息を祈りました。

◆友ヶ島の行は「命がけ」。
特に友ヶ島での行は、海を渡ること自体が「命がけ」。
だったそうです。
◆島内「5つの行場」
どこも観光地化されておらず、普段は誰も寄り付かないと言われています。そのうちのひとつ、虎島(とらじま)にある観念窟(かんねんくつ)はとても厳しい行場です。ここから石の滑り台のような急傾斜の岩場を、命綱ひとつで登っていくのだそうです。「これはまさに命がけ」と藤井さんはおっしゃいます。
◆行をする人との交流
このような山岳修業は、「心を鍛え厳しい自然の中で生き抜く力を身に付けるために行うもの」。藤井さんたちは「加太浦大護摩供」という会を立ち上げ、このような行者さんたちをおもてなししています。
また地域の子どもたちには、日本の伝統・精神文化として知ってもらう機会を設けています。大護摩祈祷の際には、いつも多くの子どもたちも訪れています。
◆「日本考古学協会」会員としての活動。
このほか藤井さんは、
小中学生の前でお話をされることもありますが、
「目を光らせて(一生懸命)聞いてくれる時が嬉しい」と
仰っています。
◆「日本遺産」への夢
今回ご案内いただいた「葛城二十八宿」の行場を、「日本遺産」として登録したいと、和歌山県を通じて申請中。「修験の行場がたくさんある貴重な場所。その辺りも含め日本遺産になってほしい」と期待を込めていらっしゃいます。