2019年03月28日

3/28放送 (新)シリーズ「紀州徳川家入国400年」第1回☆

(今日の放送はこちらからお聞きいただけます)

今日も「暮らしのゲンキ」をお届けしました。
新シリーズ「紀州徳川家入国400年」
今日は第1回です。

新年の和歌山城.jpg


市立博物館学芸員の佐藤顕さんにお話を伺いました。

今年は、徳川家が入国して400年の記念の年。
今月から月1回のシリーズで
「紀州徳川家入国400年」と題してお届けします。


紀州徳川家の初代藩主は、
徳川頼宣(よりのぶ)といい、
江戸幕府を開いた徳川家康の十男です。
母親は「お万」といいます。


紀州徳川家は、尾張徳川家・水戸徳川家とともに
将軍家を支える御三家の一つでした。

頼宣は1602年京都の伏見で生まれ、
1671年、和歌山城で亡くなっています。

元和5年7月19日、現在の暦で言うと、
1619年8月28日に江戸幕府で、頼宣の紀州への異動が決定し
頼宣は9月20日に和歌山入りしました。

当時、頼宣は18歳で、和歌山へ来る前は静岡を治めていました。
広島を治めていた福島正則という大名が処罰を受けたため、
その広島に、和歌山を治めていた浅野長晟が移り、
空いた和歌山へ徳川頼宣が入るという形で異動が行われました。


徳川頼宣と言っても、徳川吉宗などと比べると
良く知らないという人が多いのではないかと思います。

しかし、江戸時代には御三家当主というだけでなく、
優れた人物として有名で、江戸時代中頃に
米沢藩の改革を行い
「なせばなるなさねばならぬ何事も」の明言を残した
上杉鷹山も、頼宣の人柄に感銘を受けた一人です。

頼宣は徳をもって家臣や領民をいたわる政治
をおこなうことを
基本としていて、庶民に父母への孝行や謙遜、正直を推奨した
「父母状」を作成したことでも知られています。

今年、市立博物館では、
徳川家入国400年記念として2つの特別展を開催します。

一つは、8月24日〜9月29日に開催する
夏の特別展
「雑賀衆と鷺ノ森遺跡ー紀州の戦国ー」
です。

戦国時代の雑賀衆の活躍を中心に、戦国時代の紀伊国にスポットを当て
徳川家入国前の時代を紹介します。

もう一つは、10月19日〜11月24日開催する
秋の特別展
「徳川頼宣と紀伊徳川家の名宝」
です。

市立博物館と県立博物館が共同で行った調査を踏まえて、
両館で特別展を同時に開催し、
徳川頼宣やその父・徳川家康、母・お万、
息子の光貞などに関する資料や
頼宣ゆかりの寺社の宝物などを紹介する予定です。

これを機に徳川頼宣がより注目されることになればと
考えております。




明日は「ゲンキトピックス」です。
お楽しみに。

posted by ゲンキ和歌山市 at 07:25| 和歌山 ☀| 暮らしのゲンキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする