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「まちかど通信39」
今回は加太地区をご紹介。
今日は加太地区の歴史について
加太地区連合自治会 副会長の藤井保夫さん
にお話を伺いました。
藤井さんは考古学がご専門。
(日本考古学協会の会員でいらっしゃいます)
加太の歴史についてお話しいただきました。
和歌山市の西端に位置する「加太地区」。
目の前には淡路島、紀淡海峡に面した海の町です。
縄文時代以来ずっと人が住んでおり、
弥生時代あたりから土器に海水を入れて煮詰めて塩を作る
製塩(塩づくり)がとても盛んに行われるようになりました。
この加太の塩は、奈良の平城京などに運ばれていました。
塩づくりが盛んであった当時の加太は、
交通の要所でもあったようです。
飛鳥時代から奈良時代にうつるころ、
加太には駅家(うまや)、今でいう「道の駅」が出来ました。
奈良の都から紀伊の国、淡路の国、四国の4つの国をひとつに結ぶ
幹線道路が加太を通り、港として発展してゆきます。
そこに、「駅家」が置かれるわけです。
このような道(南海道)を通じて、都に塩を運んでいました。
「塩の道」ですね。
そして江戸時代には、四国の物産がどんどん加太の港に集まり栄えたそうです。
江戸時代も終わりに近づくと、ロシアなど西洋の列強が、
鎖国をしている日本に開国を迫ってくるようになります。
幕府は危機感を覚え、砲台、台場を作っていきますが、
明治になると、西洋式の砲台をどんどん作り外国船の往来を阻止。
加太はそういった意味でも重要な位置づけであったと言えます。
ところで、加太の産業と言えば漁業。
これは古くは縄文時代から盛んであったようです。
藤井さんによると、加太の漁業は縄文・弥生時代から盛んでしたが
とくにピークは江戸時代の後半で、そのころ加太の漁船は
房総半島沖まで漁に出ていたと文書に記されています。
ところで藤井さんたちが今とりくんでいるのは、
「葛城二十八宿(かつらぎにじゅうはっしゅく)」を
日本遺産に登録しようという取り組みです。
葛城二十八宿(かつらぎにじゅうはっしゅく)とは、役小角(えんのおずね)が
法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚で、
和泉山脈〜金剛山地の山やその付近の寺社を中心に二十八ヶ所あり、
現在も修験道の行場となっています。
「日本遺産に登録して、人・お金を呼んで来ようと
仲間たちと取り組んでいます。」
また、行場と言えば、友ヶ島には5か所の行場があります。
虎島(とらしま)には序品窟(じょほんくつ)・観念窟(かんねんくつ)
という会食洞穴があり、その中に行場があったりするんだそうです。
藤井さんは
「これだけでも見どころがいっぱいですが、
加太に来ていただきますと、縄文時代から
明治・大正・昭和までのすばらしい歴史遺産がたくさんありますので
是非来ていただきたいと思います。」
と熱く語ってくださいました。
加太支所はこちらをクリック!
明日は「暮らしのゲンキ」です。
お楽しみに。
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