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水曜日は「暮らしのゲンキ」です。
シリーズ「和歌山城天守閣再建60周年」
最終回の今回は、
「天守閣設計者・藤岡通夫氏の苦労」について
和歌山城整備企画課 学芸員の大山僚介さんに
お話を伺いました。
和歌山城天守閣の再建工事において、
城郭建築の専門家として設計を市から依頼されたのは
当時、東京工業大学教授の藤岡通夫(ふじおかみちお)氏でした。
近代以降に建設された天守閣は、
材質を含め、なるべく史実に忠実に再建された「復元天守」
材質や構造は違うものの外観は史実通りに再建した「外観復元天守」
史実には基づかずに建設された「模擬天守」などに大別されますが、
和歌山城天守閣は「外観復元天守」となります。
材質や構造は鉄筋コンクリート造なので、江戸時代とは異なりますが、
外観に関しては、藤岡氏の努力・こだわりもあって、
当時の写真と見比べても遜色ないようにみえる復元になっています。
例えば、天守台の石垣がゆがんでいるため、
大天守は、ひし形に近い1層の上に、
方形の2層、3層が乗っているという複雑な構造をしています。
藤岡氏はそうした複雑な構造を正確に表現するために、
一度木造で設計をして、それをコンクリート造に置き換えるという
非常に手間のかかる作業をしました。
また藤岡氏は、戦前に、まだ空襲で焼ける前の和歌山城天守閣を訪れ、
自身で内部も含めた写真を何枚も撮っていました。
それも、正確な外観復元をする際に非常に役に立ったようです。
さらに、設計通り正確に建設するために、再建工事現場に広い小屋をつくり、
そこで原寸大の設計図もつくっています。
原寸の設計図は、工事が終わると同時にとりこわされたそうですが、
藤岡氏本人も、「取り壊すのが惜しまれるほどのものであった」と
回想しています。
現場の工事を担当した人も、藤岡氏とともに苦労しながら工事に
とりかかったのだろうと思います。
天守閣再建60周年を記念したこのシリーズでは、
戦後の天守閣再建時の話を中心に、これまであまり知られていなかった
和歌山城についてお伝えしてきました。
現在の天守閣が、
非常に多くの人々の思いや再建に至る歴史を背負って
建っていることを少しでもたくさんの人に知っていただけたなら
嬉しく思います。
来年は紀州徳川家入国400年と、今年に引き続き記念イヤーが続きます。
こうした節目を機会として、多くの方に和歌山城や和歌山市の歴史に
触れていただければと思います。
明日は「まちかど通信34」です。
お楽しみに。