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今日も「暮らしのゲンキ」です。
シリーズ「南方熊楠生誕150周年」
今回は「イギリス・ロンドンに渡った熊楠」
について、和歌山城整備企画課 学芸員の
武内善信さんのお話です。

アメリカに渡った熊楠は、その後ロンドンに渡りますが、
当時、ロンドンは世界の首都、いろんな情報が集まるところ
特に、大英博物館は多くの情報が集まる場所でした。
ロンドンに渡った熊楠は、世界的な科学雑誌「ネイチャー」に
初めて、東洋の星座についての論文を発表します。
それと同時に、大英博物館に入る許可が下りたと言われています。
「星座というのは、文化があるところに生まれるもの」。
熊楠は、アメリカ時代に
「モノには、こころが触れあい、そこで生まれるのが事」
として「事の学問」を深めました。
星座は、星に対して人間が物語を使って、その星の集団に対して
名前を付けたもの。星座自体は実際にはありません。
この「星座」こそ、モノに心が触れあって生まれた事(事象)です。
そういう星座、一般的には西洋の星座が有名ですが、
東洋にも星座がありました。
「北斗七星」などは東洋の星座です。
このように、西洋に対抗できる文化が東洋にもあるということを
熊楠は、東洋人をもっとアピールしようと
数々の論文をネイチャーに発表してゆきます。
それだけでなく、熊楠は、科学雑誌だけでなく
人文系の雑誌ノーツ・アンド・クエリーズにも論文を
発表します。
このように、精力的に論文を発表した熊楠ですが、
ネイチャーでの掲載数は、日本人では一番。
東洋でも一番。
最近の調べで分かったことは、おそらく世界でも1〜2番目に多い
のではないかということです。
ロンドン時代の熊楠は、論文の発表で大活躍をしました。
ところで、熊楠のアメリカ・ロンドンへの
留学は私費で行っていました。
お父さんが、商売で大成功をおさめ、熊楠は生前贈与を受けており
それを資金に留学をしていたのですが、
当時のロンドンは世界の首都、物価も世界一の高さでした。
それで、お父さんからの遺産も、ついには底をついてしまいます。
そこで、熊楠は、ロンドンを後に日本に帰ることになるのです。
明日は「ゲンキトピックス」です。
お楽しみに。