2017年07月24日

7/24放送 シリーズ「南方熊楠生誕150周年D」〜熊楠を取りまく教育者たち☆

(今日の放送はこちらからお聴きいただけます)

月曜日は「暮らしのゲンキ」
今日は南方熊楠生誕150周年シリーズD
「熊楠をとりまく教育者たち」について
和歌山城整備企画課 学芸員の武内善信さんに
お話を伺いました。


南方熊楠生誕150周年記念ロゴマーク.jpg


熊楠は、この春閉校した「雄湊小学校」の卒業生です。
「雄湊」となったのは、戦後のことですので
正確には「雄(おの)小学校」の卒業生となります。

雄小学校では、城下町和歌山では2番目に出来た学校。
1番目に出来たのは、始成小学校、本町小学校の前身です。

熊楠は、雄小学校が開校した時ちょうど6歳で、
雄小学校の第1期生として入学しました。
明治の学校制度が整うと同時に熊楠は学校で学んだわけです。

その後、熊楠は、和歌山中学校(今の桐蔭高校)が開校した際にも
最初の入学生として学びました。

当時の小学校や中学校では「博物学」が盛んで、
学校の授業でも「博物学」を学んでいました。
特に、和歌山中学校の博物学の先生で
とても優秀な方がいらっしゃいました。

田辺の出身で、田辺藩安藤家の藩校の先生だった方で、
鳥山啓(とりやまひらく)という先生です。
熊楠は、鳥山啓から博物学を学びました。

当時、現在の和歌山中央郵便局のある場所に、
和歌山県の植物園があったそうです。
鳥山啓は学校で教えるだけでなく、植物園の管理もしていたため
熊楠ら生徒を植物園に連れてゆき実地の研修として
植物の勉強をさせていたそうです。

熊楠は、鳥山啓をとても尊敬していたといいます。

また、和歌山中学校には、ほかにも優秀な教育者がいました。


湯川秀樹祖父は書道の先生として熊楠を教えました。
(ちなみに、湯川秀樹の父は、小川琢治京都大学地理学者)

また、絵を教わったのは、
中村げんせいという紀州藩の「お抱え絵師」であった方。

植物を説明するのに、今では写真がありますが、
当時は、絵で表現するしか方法はありませんでした。
そのため、絵を描けないと博物学者や植物学者になれなかったそうです。

熊楠は、幼少のころから絵心がありもともと絵は上手だったのですが
中学生のころには、更にこのような方から、
本格的に絵を学んでいました。


明日は「中学校訪問H」です。
お楽しみに。
posted by ゲンキ和歌山市 at 07:25| 和歌山 ☁| 暮らしのゲンキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする