2019年06月26日

6/26放送 紀州徳川家入国400年 その4・戦災で焼失した文化財

☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆

今日は、シリーズ「紀州徳川家入国400年」の4回目
戦災で焼失した文化財について、
和歌山市立博物館の学芸員、高橋克伸さんにお聞きします。

明治以降、和歌山市は、
近代都市として、紀州徳川家の居城を核とした街として
経済も文化も発展しました。しかし1945年(昭和20年)
7月9日深夜から翌10日未明にかけて、
米軍のB29爆撃機108機が和歌山市街地を空襲。
1100人以上の尊い命が奪われるとともに
貴重な文化財も焼失しました。

戦災で焼失した文化財.jpg
(和歌山大空襲直後の市街地)

◆和歌山城天守◆
焼失前は、江戸末期の1850年(嘉永3年)に
再建された天守で、1935年(昭和10年)5月に
国宝「和歌山城」として11棟が指定されました。

木造3階建てで、当時の記録では
「我が国の城郭建築としては異例に属する
 新しい天守を中心とし、地形利用の巧みさは
 みるべきものがある」と評価されています。

空襲を生きのびた人は、「10日の明け方、
和歌山城が紅蓮の炎を上げながら燃え落ちた。
時代劇を見ているようであった」「涙が出た」
と証言されていて、紀州徳川家の入国以来建てられた城が
市民の中に息づいていた
ことがわかります。
和歌山城はその後、
1958年(昭和33年)に市民の力で再建されました。

◆刺田比古神社◆(和歌山市片岡町)
和歌山城の守り神として歴代城主に崇敬され、
「岡の宮」として知られています。
和歌山大空襲では、
5代藩主で後に8代将軍となった徳川吉宗が
1721年(享保6年)に奉納し、
1924年(大正13年)に国宝となった太刀や、
初代藩主・徳川頼宣が再建したとされる社殿が
焼失しました。

◆松生院◆(和歌山市片岡町)
「不動堂」といわれる本堂は、
1295年(永仁3年)にはすでに建てられ、
1613年(慶長18年)に和歌山市山東から
移築されたとされる市内最古の建物で、
1904年(明治37年)に国宝に指定されましたが、
空襲で焼失しました。

◆報恩寺◆(和歌山市吹上)
空襲で本堂が焼失。2代藩主・徳川光貞が
娘の菩薩を弔うため鋳造させた梵鐘は焼失を免れ、
現在は市の指定文化財になっています。

現在、空襲体験者の記憶を後世に残そうと
聞き取りも続けている学芸員の高橋さん。
和歌山大空襲は先祖が大切に培ってきた文化も奪う
 悲惨な出来事だったことを知ってほしい

と話していました。

和歌山市立博物館のイベント情報
◇ホール展示『昭和20年7月9日和歌山大空襲
  〜(続)伝えたい あのときの記憶〜』
 期間:7月6日(土)〜8月4日(日)

◇映画上映会『和歌山大空襲と空襲体験絵巻』
 日時:7月6日(土)14:00〜15:00

 詳しくは博物館のホームページをご覧ください→こちら☆
posted by ゲンキ和歌山市 at 08:00| 和歌山 ☁| 暮らしのゲンキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする