2018年07月03日

7/3放送 まちかど通信K〜商業の中心地・大新地区の概要☆

(今日の放送はこちらからお聴きいただけます)

「まちかど通信K」
今回は「大新地区」をご紹介。
今日は、大新地区の概要について
大新連絡所の吉増健所長にお話を伺いました。

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和歌山市には42の地区がありますが、
昭和に入ってから周辺の町・村が編入によって
現在の市域となった地区が多い中で、
大新地区は、和歌山城の城下町が市になった旧和歌山市の一部で
中心市街地の一部をなしています。

位置は、和歌山城北東部にあり、
北は、大門川、西は和歌川に接しており、
中之島地区、本町地区、広瀬地区とは、
橋によってつながり、
東と南は宮北地区と新南地区に接している、
南北に長い地形の商業地です。


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城下町であった頃の大新地区についてですが、
今の和歌川は、市堀川とともに、
和歌山城の外堀でありましたが、
大新地区は、徳川時代に、その和歌川に架かる、
鍛冶橋、紺屋橋、大橋によって城下町と結ばれる東側に、
新たな町割りされた、新町からなっています。

その新町の中心地が、今の新通であったとのことです。

お城の大手門であった岡口門から、東に通じている大橋周辺は、
和歌川を使って、舟で運ばれてきた物資が、
集散する場所であったようで、
現在の和歌山電鐵貴志川線の前身の山東軽便鉄道が、
伊太祁曽から大橋、大橋から中之島まで
現在の紀和駅付近ですが、鉄路を開通させたことは
いかに大橋が物流の結節点であったかがうかがえます。

その大橋から、北へ細長く、新通りが1丁目から7丁目へ続くなど、
大新地区は、江戸時代から続く、盛んな商業中心地であったようです。

しかし、昭和20年7月9日に空襲を受け、
大新地区一帯、新通りの街も全焼しましたが、
戦後は、繊維関係の問屋が並ぶ商店街として復興し、
現在に至っています。


大新地区には、昔から由来のある町名が多く、
行政的には50を超える町名があります。

一つの地区としては珍しいのではないでしょうか?

今の大新地区の町名の大部分が、
和歌山城下の新しい町割りでできた新町のうち、
町人のまちとして発足しているそうです。


新町らしく、新通り、新中通り、新雑賀町、など
「新」からはじまる町名や、
「北ノ新地」からはじまる町名など全部で15ほどあります。

また武家屋敷として発足した町名で、畑屋敷端ノ丁、畑屋敷園福院東ノ丁
など、「畑屋敷」という名のつく町名が14ほどあり、
また、岡北ノ町、岡円福院西ノ丁など
「岡」が付く町名とともに、
それぞれに由来を付け加えて、現在の町名になっているそうです。
機会があれば、そのルーツを探ってみてはどうでしょうか?


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「大新連絡所」はこちらをクリック!


明日は「暮らしのゲンキ」です。
お楽しみに。
posted by ゲンキ和歌山市 at 07:25| 和歌山 ☁| まちかど通信(2018) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする